文字などかいてみたので置いておきます。原稿やろうぜ。
元親と家康の話です。
泛かぶ
人は欲深だ。満足などという感情は一刻の幻想のようなもので、ひとつ得れば瞬く間にあれも欲しいといい、手に入らなければ、天は不公平だと人は嘆く。だが欲しがれる故に人は救われるというのならば、どんなに理由が理不尽であろうと、伸ばされる手は払われるべきではないと家康は思う。そして今は、期待に満ちた手が今を統べる者たる己に伸ばされるのもまた当然のことだと。
叶わないことのもどかしさを家康はよく知っている。だからこそ、払いたくない、掬ってやりたい、そう思う。そしてこの己の気持ちすら、理不尽な欲にすぎないことも、解っていた。全てをなどと、到底贖われないものなのだ。叶ったことなどない願いなのだ。何もかもあたえてやれるほど、むしろ何もあたえてはやれないほどに、この家康が持っている物も持っている自由も、多くはないのだから。
国の各地で日照りが続いているという報を続々と受けている。民の幕府への苛立ちが殊更に顕著なのは、食糧難の危機というだけでなく、陽の象徴たるイメージの強い家康が恰好の負の感情のぶつけ先となっているためだろう。と、いうのは家康は既に察していたことであったが、恐る恐るとそれを進言した家臣に対して激昂した直政を抑える、あれは一苦労であった。憎まれることは構わない。むしろ己を罵倒することで少しでも気分が晴れるならば、いくらでも罵るがよかろう。直接聞いてやれればとすら思うが、どうせ呟かれたところでその雑言はこの耳には届かないのだ。恩を忘れた薄情者共と直政は吠えていたが、我々は民が納める飯を食わせてもらっている立場である。この国の行く末を任せてもらっている立場である。どうやっても彼らに頭は上がらんよ、と家康が笑えば、直政は再び息巻きかけたが、大きなため息にして怒りを殺さざるをえなかった。罵倒されている本人がこれでは怒りようもない。
「直政のように短気な官吏達が聞きつけられなければいいがなあ」
「杞憂でしょう。彼らはそういうところを上手く立ちまわってみせるものです」
しれっと言いはなった康政と「そうか」と呵呵と笑ってみせる家康に、直政は面白くなさそうに口を尖らせた。
しかし、天候ばかりは手の打ちようがないな。会議が終わり重臣たちが捌けたところで、一人窓際に腰掛け、民にとって今は忌々しいばかりであろう蒼壁を見上げる。独眼竜を煽って、各地を雷を呼んで回ってもらおうか。面白くなさそうな顔で腕を組み騎乗して全国を巡行する政宗が瞬く間に閃いて家康は破顔した。ありありと目に浮かぶ不機嫌顔だけでも、雨を起こすのには十分そうだ。だが正しく頼み込めば政宗が否と言わないことを、家康は重々承知している。それゆえに、それは奥の奥の手、最終手段なのだ。
雷を起こすだけならば忠勝でも出来ることだが、そもそも稲妻が雨を呼ぶのかと問うてしまえば、確証はない。ただ民の間では雷が稲を実らせるとそう伝わっているのは確かだ。しかし、思い返せば政宗や忠勝が放電していても、別に雨が降るわけでもなし。
かつて自分にも雷を起こす力があったときに試しておけばよかったなあと、あちこちひきつれて汚い拳を見つめてぼんやりと思った。手慣れた槍を手放して技が鈍ってしまったのと同じように、この身体もいつからか電流を纏うからくりを忘れてしまったようだ。試してはみるが一向に淡い光を放つばかりで、むずがゆい程にうまくいかない。だがこれはこれでいいのだろう。あの力はもう己のものでない。
思考の漫遊を許すのもここまでだ。家康は頭を振って立ち上がった。手の打ちようがなかろうがなんだろうが、ひねり出してでも打たなければいけない。各地に視察をだして状況を把握するところから始めよう。忍を一部かり出せばさして時間のかかる作業でも無いはずだ。忙しくなるぞ、と家康が腹を決めて襟元を正した瞬間だった。
「家康様、」
「なんだ」
声のもとを大凡の見当をつけて見上げる。こちらからは姿は全く見えないが、向こうにしてみれば瞳がかち合うのだろう、一瞬の動揺が空気を震わすのがおかしくてそうするのがいつの間にか習慣になっていたが、最近ついに忍共に慣れられてしまったらしい。
「…急の来客にございます、お目通し願いたいと。」
「誰とも約束はしていないがなあ。だが」
家康はわざとらしく言葉を切って、さも可笑しいというように緩む己の口元を撫でた。
「ワシは来客の身元を当てる自信があるぞ」
「…なれば殿の思うとおりでございましょう」
依然として事務口調ではあるがどこかお道化た言い草に家康は確信を新たにする。
「相も変わらず荒い男だ。通すように伝えてくれ」
なにせ突然の来客だ、どうせ手持ちの検分を受けさせられて、ここに辿りつくまで、それなりの時間はとるだろう。来客を気持よく迎えるべく、それまでに今日済ませるべきことをさっさとやってしまわなければ。
この”検分”、以前似たような来客があったとき、相手の正体を認めた上で必要はないと伝えたのだが、どこの馬の骨とも分からぬ者を殿の元へ安々とお通しするわけには参りませんと言ってのけるので家康もつい笑ってしまって以来、毎度恒例となっている。あの男に関しては、家臣たちも随分と遠慮がない。
楽に着崩していた身なりを整えながら、天井裏の忍と全国へ視察を向ける算段をたて、今日中にも各地に発たせるということで合意したところで、回廊を聴き慣れた足音が近づいてきた。閉じられた襖に映る大柄なシルエットは、家康を破顔させるのには十分だ。
「よう、いつもの歓迎ありがとうよお殿様。今回は一際派手だったぜ」
「遠路遥々感謝する、元親」
どことなくくたびれて見える元親にくっくと家康が笑うと、わざとらしく不機嫌顔をこさえて見せてから、自分で堪えきれなくなったのか、元親は口を開けて大笑してみせた。
「…そうか、お前のところでも思わしくはないか」
盃を片手に顔を顰めた家康を見、本当はこんな話酒の席でしたかねえんだがなあ、と元親がぼやく。既に幾らか酌み交わした後で、瓶が二人をごろごろと囲んでいるが、しかし元親は元より酒豪、家康もそれに勝らずともなかなかに強い。騒ぎ燥ぐ宴の席でもないとなれば、二人の顔にまだ酔の色は少なかった。
「いや、情報は有り難いよ。丁度忍を視察に遣ったところでな」
「そうか。いやしかし、行きにサヤカんとこ寄ってきたんだが、今回はそこかしこで日照ってるみてえじゃねえか。幕府で手を出し始めたら、それこそキリがねえんじゃねえか?」
すぐには答えずに家康は元親を見た。彼は暗に自分のことを案じてくれている。家康が相応の覚悟を持って施政にあたっているのを理解しているからこそ、一大名としても親友としても、こういった事柄に関して元親が一定以上踏み込んでくることはなかった。だがこうして、時にそれとなく気遣ってもくれる。性格柄、思惑のまるでない元親の行動が自分にとってどれだけ有り難いか、ついぞ彼に伝える機会を得られずにいる。だからせめて代わりに、「それでもやらねばならんな」と親友の期待に応えるべく答えるのだ。
「そうか」
じ、と家康を見つめた後、ふっとその瞳が和らいだ。知る者は意外に少ない、穏やかな鬼の顔を家康もぼうと眺めた。
「まあ四国に関しては気遣うな。瀬戸の海側の渇水が例年より厳しいが、南は常とさして変わらねえ。食糧にしろ水にしろ北の分まで自力で賄えるはずだ。俺達には海路があるからな。なんなら他に安く売れるようにかけあってもいい」
誇らしげに言う元親に家康は頷いてみせた。とはいえ元親がつい物事を大きく、かつ自信たっぷりに言ってのけてしまう癖を重々承知しているので、元親の突撃訪問を知ったその上で、忍をすでに四国に向けてある。その程度で拗ねるような小さな男ではないと家康も解った上での采配であったし、「ま、忍をくれてやって確認してくれりゃあいい」と付け足して笑って見せる元親も家康のしたたかさと慎重さをしっかり理解しているのだった。
「さあさあこの話は仕舞いだ!酒を進めようぜ」
ぱぁんと膝を打った元親は、新しい瓶を開けてこぼれんばかりの勢いで家康の盃に注ぎ込み、残りを自分の物に空ける。一口つけて家康は首を振った。
「こりゃまた強いのを持ってきたなあ元親。ワシとてこれはぐいぐいと飲めそうにない」
また明日から忙しいし、と口にさえしないが、ここで酒豪・元親に付き合って潰れてしまうのは得策とは言えない。実際、すでに程良く酔いが回ってきているのだ。しかしこれは、いつもにくらべて随分と、
「いつもよりはええんじゃねえか?」
ぼんやりしてきた家康の思考を次ぐように元親が言った。そうかもしれ、ん。と重たくなってきた上瞼を思い切ってぎゅうと瞑ってみるが、余計に下瞼と引き剥がすのがしんどくなっただけだった。すると畳を擦らせて距離を詰めた元親が、家康の頭を肩に抱えた。疲れてんだろ、休めと言いたいのだろう。鍛えられた肩と手で頭を優しく挟まれて、家康はううとうめいた。やめてくれ元親、眠ってしまう。眠ってしまったら、明日が来てしまう。明日が来たら…。
元親と酌み交わせるこの時を疲労に負けて安々と手放してしまうのは酷く勿体無いことに思われた。だがこの身体は既に上下への浮遊をはじめている。身体が形を無くして仕切りにブレるような、不思議な感覚だ。
「無理すんなとは言わねえが、無理しどおして倒れるのはお前も不本意だろ」
呟くような穏やかな声が、酷く遠くからくるかのように聞こえる。お前はワシを説得するのが上手いなあと家康はぼそぼそと返した。呼吸をするのと同じように与えることの出来る親友を、心底羨ましいと思った。
「お前が頑張ったところで雨は降るときにしか降らねえさ」
「そうだ、な…むしろ、倒れた方が、降ってくれるかもしれないなあ」
元親が首をこちらに向けたのが、己の額の、彼に触れている部分通して伝わった。ああ、こんな皮肉めいたことを言うつもりはなかったのに。まったく、酒というものはいらぬことを易く言わせるから、油断できない。
「ああ…いや、気にするな、そういう報を受け取ったのだ。民の間でな、」
弁解めいた説明を加えながら、気分を害させてしまってなければいいと思った。むしろ元親が直政のように激昂したらどうしようか、などとまで思っていた家康の酔の回った脳は、そうかそうか、誰もかれもやっぱり似たようなことを考えるもんだなあという元親の呟きを一瞬解しかねた。
「いや、そうじゃなくて、あんまり日が照るんでよう、」焦ったように元親は付け足す。
「お前がまた頑張りすぎてんじゃねえかと思ってよ」
あながち外れてはなかったみてえだなと、ややこをあやすように頭をぽんぽんと撫でつけるものだから、必死に考えようともがく家康の意識をさらに朦朧とさせる。それでも、霞がかったその中で家康はなんとか答えらしきものにいきついた。 つまり元親は、毎日これでもかというほどに天道で輝く太陽を見て、ここに来たと。
四国から江戸までの長い道程を、凡そそれだけの理由で。この友人は来てくれたのだと。
膝までずり落ちて眠りこける家康、その頭にのせた手はそのままに、元親は独酌を続けていた。
と、宵の涼しい風が窓から入り込んで、ふわりと部屋を浚った、かとおもえば、さああと微細な光が垂直の尾を宙に流して降りて地を、そこかしこをしたたかにうちはじめる。
雨の訪れである。